「正しい」より「上手くいく」を選択しよう①「正しい」ことが「上手くいく」とは限らない

「正しい」考え、行動で「上手くいく」とは限りません。

「正しさ」よりも「上手くいく」を選択する方が幸せへの近道です。

「正しい」≠「上手くいく」

私たちはみんな自分の人生を良くしようと、一生懸命に生きています。

そのために自分が「正しい」と思う考えに基づいて行動しています。

しかし、世の中に問題、困りごとは依然としてたくさんあるままです。

なぜ「正しい」ことをしているのにそうなるのでしょうか?

それは、「正しい」考え、行動が「良い結果=上手くいく」に結びつくとは限らないからです。

「正しい・正しくない」と「上手くいく・いかない」の関係性について、見ていきましょう。

「正しい」のに「上手くいっていない」例 

「正しさ」によって対応、行動した結果、「上手くいっていない」例を挙げてみます。

(注意点)これらの「正しさ」を「正しくない」と批判しているのではありません。「上手くいかない」例ですので、条件によって「上手くいく」場合もあります。

・強く生きていくには厳しさが必要だ!俺の時代は殴ってでも学校に行かされた!
 →学校に行き渋る子を無理やり連れていく

 →子どもは行き渋りに至る心理が変わらないまま、傷つきをさらに深める

 →精神を病んでいく

 →引きこもり、精神疾患、自死

・先生(目上の人)は敬うべき、正しい言葉遣いをすべき
 →子ども「気持ちをわかってくれない」

 →拒否反応

 →心身症、不登校

・悪いことをした子は叱られるべき
 →発達特性により周りの子に頻繁に手が出るなどの失敗が多い→叱られることが多い

 →子ども「叱られたくない」

 →嘘をつく、さらに落ち着かなくなり、失敗も増える・・

・話を聞かない子は叱られるべき

 →子ども・・・聞いているが理解できない。学習課題が合っておらず、学び取れない。

        他の刺激によって脳内に情報があふれてしまい、話に注目できない。

 →叱られないために聞いているふりをする→心が苦しくなるだけで、理解度は上がらない

・漢字を覚えてこない子はもっとたくさん書かせるべき
 →子ども・・・漢字を覚える必要性が理解できない、視覚的認知・記憶力が追い付かない

 →先生に叱られないために言うとおりにする

 →たくさん書いても覚えない、漢字を書くことと苦痛が条件付けされ、さらに覚えにくくなる

・宿題をして来ない子は休み時間にするべき
 →子ども・・・宿題の意義が理解できない、課題が合っておらず苦痛で学習効果もない、家庭の環境によって宿題に取り組む行動が実行できない

 →先生に叱られないために言うとおりにする

 →宿題をして来ない仕組みは解消されておらず、宿題をしてくるようにはならない。先生に言われて書くだけ書い  ても頭に入っていない。

・授業中は立ち歩くべきでない

 →立ち歩く子を何度も注意する

 →子ども「立ち歩くと注目してもらえる」

 →さらに立ち歩きが増える

 →他の子も追従

 →学級崩壊

・リストカットはしてはいけない
 →リストカットをやめるよう言う

 →子ども「ばれないようにしよう」

 →わからないところでエスカレートしていく

 →重大な事故

自分の「正しさ」を疑えないとこうなり得ます。

「正しさ」が生まれた時点で、それ以外は「正しくなさ」になってしまいます。

すると、その「正しくなさ」を否定、攻撃してしまうことになりがちです。

しかし、その「正しくなさ」は相手にとっては「正しさ」であることがよくあります。

こうして、「正しさ」がぶつかり合って争いが起きます。

原理主義の宗教などもそうです。幸せになるための宗教なのに、これまでに宗教が元で戦争がたくさん起こってきました。

これらのことも、「正しい」ことをしているはずなのに、「上手くいっていない」と言えるでしょう。

「正しい」ことをしているのに「上手くいかない」という現象に気付きましょう

あなたが「正しい」「良い」と思うのはどんなことですか?

・宿題を忘れず毎日やってくる  ・早寝早起き  ・学校に行く、行かせる  

・ゲームはしないか1時間以内  ・周りの人とトラブルを起こさない  ・目上の人は敬う

・正しい言葉遣いをする  ・きまりを守る  ・悪いことをしたら叱る  ・廊下は走らない

・先生の話は正しい姿勢でだまって聞く  ・授業中は静かに座っておく  ・茶髪、ピアスはしない

・わがままを言わず、我慢強く何でも努力する  ・嘘をつかない  

・勉強に必要ないものは持ってこない   ・列は曲がらずピシッと並ぶ

こういったところでしょうか?

「正しさ」の向かう目標は「幸せ」

では、どうしてそれが「正しい」「良い」と思うのでしょう?

たとえば、「宿題を忘れず毎日やってくる」ことはどうして正しいことなのでしょうか?

宿題を忘れず毎日やってくると学力が上がるから

→学力が上がると、良い学歴を得られるから

→良い学歴が得られると、やりたいことの選択肢が広くなるから

→やりたいことの選択肢が広がると、人生が充実する

→人生の充実=幸せ

このように、「どうして?」の質問を繰り返し、最終的にそれ以上出ないところまで考えてみましょう。

すると、どうでしょう?その他のものも、最終的な目的は「幸せ」につながっているのではないでしょうか?

私たちは誰もが、幸せになるためにその考え方、行動、「正しさ」を選択しているのです。

方向性のズレ+高い推進力=大きなズレ

「正しさ」の向かう先はその人にとっての「幸せ」です。

「正しい」ことをしようという思いの強い方は、一生懸命で熱意、正義感が強く、目標(=幸せ)に向かって突き進むエネルギーが高いと言えます。

それによってたくさんの成果を得ることができるでしょう。

しかし、目標に向かう方向がズレることは誰にでもあり得ます。

そのようなときに・・・

このように、目標(=幸せ)への方向が少しズレたまま高い推進力で進み続けてしまうと、ズレも大きくなってしまいます。

そして、上手くいっていないにも関わらず、「正しい」道を進み続け、さらに目標から遠ざかり続けてしまいます。

「正しい」と「上手くいく」の違い

このように、「正しい」から「上手くいく」とは限らないのです。

だから、自分が正しいと思うことを誰もがしているのに、困り事がなくならないのです。

では、「正しい」と「上手くいく」は何が違うのでしょうか?

正しい 上手くいく=幸せに近づけている
主観 客観
個人の意見 観察可能な事実
人によって違う→ぶつかり合い、争いになる 人によって違わない→ぶつかり合い、争いにならない
未来への憶測が多い 現在の状態、行動が良くなること
個々の関係性・条件を考慮しない、ある方法 個々の関係性・条件によって変わる、ある方法の結果
(同じ方法でもAさんには上手くいき、
Bさんには上手くいかないなど)

「正しい」より「上手くいく」を選択しよう

このように、「正しい」は主観的な個人の意見であり、客観的な観察ではなく、個人の感覚や憶測に基づいています。

だから、「正しさ」は上手くいかないことやぶつかり合い、争いになっていくのです。

ここで大切なのが「正しい」より「上手くいく」を選択することです。

では、どうすれば「上手くいく」を選択できるのでしょうか?

それについては、次の記事で述べたいと思います。

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